暦と季節の雑学

丙午(ひのえうま)とは?丙午はいつ?迷信や出生率を紹介

丙午(ひのえうま)には、出生率にも影響を与える迷信がありました。

丙午とは

丙午は、60年に1度巡ってくる干支(えと)のひとつです。

干支とは、十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)を組み合わせたもので全部で60種類あり、十干が「丙(ひのえ)」、十二支が「午(うま)」にあたる年を「丙午(ひのえうま)」といいます。

十干とは「甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)」の10種類をいいます。

十二支とは「子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)」の12種類をいいます。

丙午はいつ?

次の丙午は2026年です。前回の丙午は1966年、前々回の丙午は1906年でした。

西暦 和暦 干支
2026年 令和8年 丙午 (ひのえうま)
1966年 昭和41年 丙午 (ひのえうま)
1906年 明治39年 丙午 (ひのえうま)

丙午の迷信

丙午(ひのえうま)の迷信には、「丙午の女性は気性が激しく夫の命を縮める」や、「丙午の女は男を食い殺してしまう」などがあります。

もともと干支が生まれた中国では、丙午や丁巳(ひのとみ)の年には、天災が多いという迷信がありました。それが日本に伝わり、「丙午の年には火災が多い」と変わり、江戸時代には「丙午の女性は気性が激しく夫の命を縮める」と言われはじめたようです。

中国から伝わった迷信が、なぜ日本で変化したのでしょうか。原因はいくつか考えられます。

陰陽五行思想

陰陽五行思想では、十干、十二支は「木・火・土・金・水」に分けられます。丙(ひのえ)と午(うま)はどちらも火の要素を持ち合わせていることから、火災が多くなると結び付けられたと考えられます。

八百屋のお七の放火事件

1683年に江戸で「八百屋のお七の放火事件」が起きました。お七は江戸の大火から避難した際に出会った男性と恋仲になり、再会を果たすため放火事件を起こし火刑となりました。彼女の生まれ年が丙午前後だったそうです。

歌舞伎や浄瑠璃による拡散

その後「八百屋のお七の放火事件」がテーマとなった歌舞伎や浄瑠璃が江戸の舞台で何度も上演され、迷信として広まったと考えられます。

迷信の影響

1906年(明治39年)の丙午

1906年(明治39年)前後の出生数を見ると、1906年は男児の出生割合が不自然に多くなり、逆に前年と翌年は少なくなっています。

丙午生まれの女性に対する偏見を避けるため、女児の出生日を前年または翌年にずらして提出したためと考えられています。これを「生まれ年の祭り替え」と言いました。

1966年(昭和41年)の丙午

1966年(昭和41年)前後の出生率を見ると、1966年は出生率が不自然に減っています。翌年には何事もなかったかのように元に戻っています。

この頃には出生届は生まれて2週間後までに提出することになっていましたので、妊娠出産を避けた夫婦が多くいたと考えられています。

2026年の丙午

次の丙午は2026年です。

丙午の女性に関する迷信は、ほんの300年前に日本で出来た根拠のない迷信で、現在では気にする人はほとんどいません。もし現代で同世代の人数が減るようなことがあれば、それは受験や就職の競争で有利になるとも言えますね。

午年生まれの年齢

午年生まれの現在の年齢は、早見表ページにまとめています。

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